校長室

校長室

オリエンテーション

新しい環境に慣れるには日数がかかります。いきなり放り込まれたらそれこそ大変。

ということで、入学予定者を対象に3月27日~28日の2日間オリエンテーションを実施しました。

優しく語りかける学年主任

中学校と違って、電車やバスでの通学も始まります。定期の購入申し込み。

二日目は、教室でなにやら真剣な様子。

テストを受けてます。もちろん合否を決めるテストではありませんよ。どの分野をどの程度理解しているかを調べるテストです。結果を見て、どういう授業展開をするか考えることになります。こちらは、入学生に最適な授業を提供するため、私たち教員にとってのオリエンテーション資料になります。

受け継ぐ

3月16~17日、春季スポーツ大会が開催されました。

本校のスポーツ大会は、生徒会が主体として運営しているとの記事は以前アップしました(→青春(アオハル))。

今回は3年生が卒業したあとの大会ですので、いわゆる新3年生が大会を主導します。よき伝統を受け継ぎ、大会を生徒のみで運営することができるでしょうか。4月からの新1年生240名を受け入れる生徒会の試金石のようなものですね。

試合結果や次の試合の案内も的確に行われ、

試合前のアップも、各自が入念に行い、

応援は盛り上がるとどうしても前に出てしまうもの、けれどもそれを「でるなでるな~」と抑える役目の生徒も現れ、

しきりのネットの後ろから隠れるように、手を合わせそっと応援する様子も見られ、

用具類も、整然とした中で試合は進み、

試合が終われば、相手チームにも惜しみない拍手が送られ、

最後の試合となった、男子バスケットボール決勝は、コートを何重にも取り囲むギャラリーの中、

当然、応援も最高潮、クライマックスへ、

優勝の瞬間は、もう、クラス全員が輪になって大喜び。

生徒自ら運営するスポーツ大会の伝統は、無事、受け継がれたようです。

そして、

こんな素晴らしい生徒が溢れる福島東高校へ、合格おめでとう!

渡す

過日、在校生を対象に「卒業生の話を聞く会」が開催されました。

勉強と部活動の両立したからこそ、受験勉強にも自信を持って打ち込めた。

添削指導を何度も受けることによって、自信がついた。

つい先日まで、一緒に学校生活を送っていた(顔をよく知っている)卒業生の話は、相当のリアル感をもって、訴えてきます。

うまくいったこと、うまくいかなかったこと、赤裸々に語る言葉には力がありますね。

経験を後輩にうまく渡すことができたようです。

 

有終

何事にも終わりはあるものですが、事を全うし、締めくくることができる終わりというのは、なかなか得ることのできないのではないかと感じます。

先日、本校でご定年を迎えるお二人の先生の最終講義がありました。

松本仁子教諭(理科)の実験に基づく考察。

荻野敬史教諭(理科)の図説を駆使した丁寧な解説。

お二人の先生ともに、「わかりやすい授業です」と生徒から評判でした。

最後は生徒から感謝の花束を贈呈され、有終の美を飾る…ということなのですが、優秀なお二人の先生を県教育委員会がほっておくわけがない。請われて、来年度からも本県教育に携わるのではないかなと想像しております。

まずは、お疲れ様でした。ご定年おめでとうございます。

そして(想像通りなら)本県教育へのお力添え、これからもよろしくお願いします。

 

卒業式式辞

式辞

 阿武隈の川面を渡る吾妻の風は冷たいながらも、桜木のわずかな芽吹きに春の訪れを予感する今日の良き日に、県議会議長様、父母と教師の会会長様、同窓会副会長様をはじめとする皆様のご臨席を賜り、第四十一回卒業証書授与式を挙行できますことは卒業生はもとより、私たち教職員及び在校生にとって大きな喜びであります。
 また、お子様の栄えある姿を、穏やかに見つめていらっしゃる保護者の皆様に、心からの祝意を申し上げるとともに、これまで私どもが賜りましたご理解とご協力に深く感謝申し上げます。
 そして、入学以来のたゆまぬ努力が実を結び、ここに所定の課程を修め、めでたく卒業の栄誉を得た二百三十六名の卒業生に、心からお祝いを申し上げます。
 さて、三週間ほど前、マグニチュード七を超える巨大地震がトルコの街を襲いました。粉塵をあげ崩れがれきと化していく建物の前で呆然とする人々の映像を君たちは見たことと思います。
 一年前、ロシアがウクライナに侵攻しました。ミサイルが高層住宅に着弾し、がれきと化した住まいの前で額から血を流し泣き叫ぶ女性の映像はまだ記憶に新しいところです。
 十二年前、東日本大震災とそれに続く原子力災害がありました。津波にのみ込まれ全てが破壊されがれきとなり奪い去られていく沿岸の様子を、当時小学生になろうとしていた君たちはどれほど覚えていることでしょうか。
 さらに歴史をさかのぼれば、君たちが修学旅行で学んできた、原爆に焼かれがれきと化した長崎の惨状は、君たちに大きな衝撃を与えたことでしょう。
 災害や戦争の前で、私たち一個人は無力でしかない。そう感じる映像や経験が現代には溢れています。
 けれども、果たして、私たちは無力で終わるのでしょうか。
 トルコでは、埋もれた人々を助けるため、今にも崩れそうながれきを掻き出す君たち若者の姿がありました。
 ウクライナでは、崩れ去りがれきが散乱する建物の前で、ナショナリズムが台頭し分断が進む国際社会に協調を呼びかけ、国を守るとSNSで誓う君たち若者の姿がありました。
 東日本大震災の折りは、放射線を恐れガソリンなどの物流が止まる中、詰め込めるだけの生活物資を車に載せ、がれきの中をボランティアに駆けつける君たち若者の姿がありました。
 君たちが訪れた長崎も、今や君たち若者が当時を語り継ぎ、平和を希求する活動を行っています。
 全てが失われたと思ったとき、無の中から立ち上がり、真っ先に前を向いて歩みを進めるのは君たち若者です。互いに憎み合い戦い合う中、草の根のつながりを模索し、お互いを認め合おうと真っ先に努力するのも君たち若者です。君たちはどんな時であってもの常に未来を見据え、前へ前へと進もうとする。
 四十年以上も前、福島東高校の創設に携わった先人は、本校の校訓を三つ定めました。
何もないところから新しいものを自ら作り出す「創造」。利害や立場の異なる者どうしが、互いに調和・協力し問題を解決しようとする「協調」。飛躍的に進歩発展する意味を持つ「躍進」。
 まるで、破壊と分断が進む現代を予言し、その中を生き抜く君たちの道を指し示しているかのようです。
 図らずも、君たちはコロナ禍と呼ばれる三年間を本校で過ごすことになりました。今までにない学び、今までにない学校行事、入学しても友人とは一緒に過ごせない日々が続きました。東桜祭において君たちは、公開方法一つをとっても前例のない中で考え、やり方を「創造」し、経験のないもの同士が集まり「協調」してクラス企画を成功させ、後夜祭の花火はまるで君たちの「躍進」を祝うようでした。
 私は、本校の三つの校訓の中で学び、こうして卒業を迎えた君たちに期待しています。混沌とした現代を生き抜く術を、そのキーワードである「創造」「協調」「躍進」を君たちは常に意識できると信じているからです。
 私たちは、君たちを信じています。例え全てを失うような局面に遭遇したとしても、必ず立ち上がり自ら進むべき道を「創造」し、人々と力を合わせ「協調」して歩みを進め、必ず未来に向かって「躍進」するであろうと。
 これからの未来を生き抜く四十一期の君たちに、期待と信頼を込めて、式辞といたします。

令和五年三月一日

福島県立福島東高等学校長 中野茂

シャバドゥビドゥッバ シャビドゥバ

カリキュラマシーンってご存じですか。私が小学3年生だった頃、日テレ系(FCT?)でやっていた教育番組です。教育番組とはいってもNHK教育とは一線を画すギャグ満載の番組だったのを覚えています。

不思議なもので

  ♫シャバドゥビドゥッバ シャビドゥバ

  ♫シャバドゥビドゥッバ ランララン

  ♫シャバドゥビドゥッバ シャビドゥバ

  ♫シャバドゥビドゥッバ キョンキョキョン

  (作詞:宮川泰)

というテーマ曲の出だしは、今でも何か考え事をするときに頭の中で歌ってたりします。

奇しくも、明日25日からは国公立大学の前期試験。試験前に聴く、必ず元気になれるテーマ曲をくださいと言われたら、迷わずこれを推します。

ぼよよん行進曲

  ♫どんなたいへんなことがおきたって

  ♫きみのあしのそのしたには

  ♫とてもとてもじょうぶな「ばね」がついてるんだぜ(しってた?)

  ♫おしつぶされそうな そんなときだって

  ♫ぐっ!とひざっこぞうにゆうきをため(「いまだ!スタンバイ!オーケー!」)

  ♫そのときをまつのさ

  (作詞:田角有里・中西圭三)

がんばれ、東高生!

桜美展(福島テレサ)27日まで

小学校の図画工作、中高の美術。12年間様々な作品?を制作してきましたが、たった一度だけ、先生に褒められた作品があります。それは後述するとして…

本校美術部の1年間の集大成、桜美展が福島テレサにて開催されています。27日まで。

23日初日に訪れましたが、多くのお客様にご来場いただいておりました。ありがとうございます。

美術部の諸君の作品を見ると、こんな風に描けたらなあ、と心底思いますね。とくに、心象風景を絵という客観視できる状態に現出する能力には感心しきりです。

で、冒頭のたった一度褒められた作品ですが、中学3年生のとき、「レコードのジャケットつくろう」という授業でのこと。みんな一斉に水彩絵の具と黄色い筆洗い(←懐かしい)をだして、取りかかるのを眺めながら考えていたわけです。

中三の頃は洋楽に傾倒していて、KISSとかCheapTrickとかTheKnackとかを聴いていたので、なんか、レコードジャケットが水彩だと弱々しいし、どうせ、絵を描いたとしてもぱっとしないのな目に見えてるし…。

次の時間に、自宅からアルミホイルと赤のプラカラーを持ってきて、台紙の上にアルミホイルを貼り、「FACE」と文字を切り抜いた型紙を当てて、上からプラカラーで染め抜いて、たった一時間で完成させました。

12年間、後にも先にも、褒められたのはその作品だけです。それも、参考作品にするからと言われたので、返却してもらってません(プチ自慢)。

絵も下手だったし、早く終わらせたかっただけなんですけどね。

初め

「はじめ」と読むのではなく、「そめ」です。動詞の連用形につけて「はじめてその動作をする」という意味を添えます。この言葉を動作につけるとちょっと呪術的な感じがしますよね。

たとえば、生後100日(地域により諸説あり)に一生食べることに困らないようにと願い、赤ちゃんに食べ真似をさせる儀式の「お食い初め」(おくいぞめ)。橋の完成を祝って神事を行い渡る「渡り初め」(わたりぞめ)。これは、高齢のご夫婦が渡るのが正式?なんだそうです(知らなかった)

さて、年初恒例となっています「書きぞめ展」の表彰式(2月12日福島テルサ)に、役員として参加してきました。

コロナ禍の中で、3年ぶりとなる開催だそうです。たくさんのトロフィーが並んでいますが、これでも、参集規模を縮小して実施しているとのこと。

高校生の作品は芸術の域に達しています。

これは、審査風景です。高校に勤める書家の先生方がじっくりと吟味します。よく新聞で見る棒のようなものは高校審査では出てきません。これだけの「書き初め」の書に囲まれた審査会場にいると、なんとなく呪術的パワースポットにいるような気分になりました。今年は(も)よいことありそう!

そんな気持ちを思い出して、入選者の作品を見ていくと

これは、小学1年生の入選作品。なんて美しいひらがな(感動)。

私に二次記述赤ペン添削されている生徒諸君。赤ペン読めてるかな~?次からはもう少し丁寧に(小学1年生をお手本に)赤ペン入れさせていただきます。ごめんなさい。強烈に反省。 

ララサンシャイン

受験や考査を前に、やる気になる曲は、誰にでも一曲ぐらいはあると思います。私にもいくつかありますが、そのひとつが「ララサンシャイン」(森高千里)ですね。

 今日(2月10日)はそんな書き出しでブログ?始めようと思っていましたが、外はサンシャインどころか、あっという間に雪景色になりました。サンシャインにはほど遠い…。今夜はかなりの積雪が予想されます。

そんな空模様の中、1~2年生は学年末考査が始まりました。(邪魔にならないように、廊下からの撮影なので硝子の反射があります。)

今朝は、単語帳を片手に登校する生徒もちらほら、1年間の締めくくりの考査に真剣に向き合っています。

一方、2月末の国公立前期試験他に向かう3年生は

構成や論点まで一気に力がつく小論文添削の個別指導を受けたり

本番に勝るとも劣らない面接指導を受けたり

解答字数の倍以上の赤ペンで真っ赤になる二次記述添削を受けたりと、充実した日々を送っています。

  ♫ララサンシャインララサンシャイン

  ♫ララサン今日も頑張ろう

  ♫明日のための大切な今日だから今朝は

  ♫ララサンシャインララサンシャイン

  ♫ララサン天気がいいね

  ♫気分が晴れたそうこの調子さ復活だ

  (ララサンシャイン 作詞:森髙千里)

天気が雪でも、気分はララサンシャイン!