校長室

卒業式式辞

式辞

 阿武隈の川面を渡る吾妻の風は冷たいながらも、桜木のわずかな芽吹きに春の訪れを予感する今日の良き日に、県議会議長様、父母と教師の会会長様、同窓会副会長様をはじめとする皆様のご臨席を賜り、第四十一回卒業証書授与式を挙行できますことは卒業生はもとより、私たち教職員及び在校生にとって大きな喜びであります。
 また、お子様の栄えある姿を、穏やかに見つめていらっしゃる保護者の皆様に、心からの祝意を申し上げるとともに、これまで私どもが賜りましたご理解とご協力に深く感謝申し上げます。
 そして、入学以来のたゆまぬ努力が実を結び、ここに所定の課程を修め、めでたく卒業の栄誉を得た二百三十六名の卒業生に、心からお祝いを申し上げます。
 さて、三週間ほど前、マグニチュード七を超える巨大地震がトルコの街を襲いました。粉塵をあげ崩れがれきと化していく建物の前で呆然とする人々の映像を君たちは見たことと思います。
 一年前、ロシアがウクライナに侵攻しました。ミサイルが高層住宅に着弾し、がれきと化した住まいの前で額から血を流し泣き叫ぶ女性の映像はまだ記憶に新しいところです。
 十二年前、東日本大震災とそれに続く原子力災害がありました。津波にのみ込まれ全てが破壊されがれきとなり奪い去られていく沿岸の様子を、当時小学生になろうとしていた君たちはどれほど覚えていることでしょうか。
 さらに歴史をさかのぼれば、君たちが修学旅行で学んできた、原爆に焼かれがれきと化した長崎の惨状は、君たちに大きな衝撃を与えたことでしょう。
 災害や戦争の前で、私たち一個人は無力でしかない。そう感じる映像や経験が現代には溢れています。
 けれども、果たして、私たちは無力で終わるのでしょうか。
 トルコでは、埋もれた人々を助けるため、今にも崩れそうながれきを掻き出す君たち若者の姿がありました。
 ウクライナでは、崩れ去りがれきが散乱する建物の前で、ナショナリズムが台頭し分断が進む国際社会に協調を呼びかけ、国を守るとSNSで誓う君たち若者の姿がありました。
 東日本大震災の折りは、放射線を恐れガソリンなどの物流が止まる中、詰め込めるだけの生活物資を車に載せ、がれきの中をボランティアに駆けつける君たち若者の姿がありました。
 君たちが訪れた長崎も、今や君たち若者が当時を語り継ぎ、平和を希求する活動を行っています。
 全てが失われたと思ったとき、無の中から立ち上がり、真っ先に前を向いて歩みを進めるのは君たち若者です。互いに憎み合い戦い合う中、草の根のつながりを模索し、お互いを認め合おうと真っ先に努力するのも君たち若者です。君たちはどんな時であってもの常に未来を見据え、前へ前へと進もうとする。
 四十年以上も前、福島東高校の創設に携わった先人は、本校の校訓を三つ定めました。
何もないところから新しいものを自ら作り出す「創造」。利害や立場の異なる者どうしが、互いに調和・協力し問題を解決しようとする「協調」。飛躍的に進歩発展する意味を持つ「躍進」。
 まるで、破壊と分断が進む現代を予言し、その中を生き抜く君たちの道を指し示しているかのようです。
 図らずも、君たちはコロナ禍と呼ばれる三年間を本校で過ごすことになりました。今までにない学び、今までにない学校行事、入学しても友人とは一緒に過ごせない日々が続きました。東桜祭において君たちは、公開方法一つをとっても前例のない中で考え、やり方を「創造」し、経験のないもの同士が集まり「協調」してクラス企画を成功させ、後夜祭の花火はまるで君たちの「躍進」を祝うようでした。
 私は、本校の三つの校訓の中で学び、こうして卒業を迎えた君たちに期待しています。混沌とした現代を生き抜く術を、そのキーワードである「創造」「協調」「躍進」を君たちは常に意識できると信じているからです。
 私たちは、君たちを信じています。例え全てを失うような局面に遭遇したとしても、必ず立ち上がり自ら進むべき道を「創造」し、人々と力を合わせ「協調」して歩みを進め、必ず未来に向かって「躍進」するであろうと。
 これからの未来を生き抜く四十一期の君たちに、期待と信頼を込めて、式辞といたします。

令和五年三月一日

福島県立福島東高等学校長 中野茂